日米の景気循環の比較 第6回 1980年代の景気後退

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今回は、日本と米国の景気循環を分析するシリーズの6回目として、1980年代の景気後退期を比較してみます。

上の最初のグラフは、1980年1月から1989年12月までの10年間の日本と米国の景気後退期を時間軸上に示したものです。上が米国、下が日本の景気後退期間です。


グラフのように、この期間内に、日米ともに、2度の景気後退に陥っています。

上の二番目のグラフは、1980年から1989年までの米国の公定歩合の推移です。

上の三番目のグラフは、1980年から1989年までの日本の公定歩合の推移です。


以下に時系列で、各景気後退の内容を見ていきます。

1.(米国の景気後退)1980年2月~1980年7月


  1978年から1979年に発生した第二次石油危機により、世界的に原油価格が高騰しました。
  また、米国では、1970年代に入って、インフレが亢進し、長期金利も急上昇しました。

  FRBは、景気を犠牲にして、インフレの抑圧を第一目的に、1977年7月に5.25%だった公定歩合を、1980年2月に13%まで引き上げました。その結果、1980年2月に、景気後退に陥りました。
  1980年7月に景気後退は終了して、景気拡大に転じましたが、その後も、相対的に高い失業率が続き、景気回復の実感に乏しいものとなりました。

2.(日本の景気後退)1980年3月~1982年2月


  第二次石油危機の影響は、日本にとっても深刻なものとなり、米国とほぼ同時に景気後退に陥りました。
  日本の景気後退は、米国のように、短期間で終えることは出来ず、ほぼ、2年間継続する戦後最大の長期不況となりました。

3.(米国の景気後退)1981年8月~1982年11月
  
  米国は、前回の景気後退を、一旦、1980年7月に脱しましたが、僅か一年後の1981年8月に再度、景気後退に陥りました。(ダブルディップ型不況)
  この原因は、インフレの再燃を恐れたFRBが、1980年の後半に、一旦、引き下げていた金利を、再び引き上げて、金融引き締めに転じた為と言われています。

  短期間の景気回復は、脆弱なものだったため、実感的には、1980年初めから1982年末までの長期不況が続いていたと捉えられています。

4.(日本の景気後退)1985年7月~1986年11月

  第二次石油危機が克服されると、金利とともに、原油などの商品価格が急落して、消費や投資が回復しました。
  特に、日本が得意とする半導体、ICをはじめとする電子部品、コンピューターといったハイテク産業が大きく伸びました。
  その結果、日本から欧米への自動車や電子機器の輸出が急増して、貿易摩擦が激化しました。
  長期の景気回復の中で、電子部品への設備投資により、供給が過剰となり、日本では、景気が後退に転じました。

  さらに、米国は、対日貿易赤字を縮小するために、1985年9月にG5の間でプラザ合意を取り付け、為替を大幅な円高ドル安に誘導しました。


5.まとめ

  1980年代初頭の景気後退は、日米ともに、第二次石油危機後のインフレを抑制するために、中央銀行が金融を引き締めたことにより、発生したものでした。

  それとは対照的に、1985年の日本の景気後退は、輸出主導の景気回復の中で、製品の供給過剰により自律反転的に発生したもので、事前の日銀の金融引き締めが、全く行われなかった点が特徴的と言えます。