日米の景気循環の比較 第7回 1990年代の景気後退

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今回は、日本と米国の景気循環を分析するシリーズの7回目として、1990年代の景気後退期を比較してみます。

上の最初のグラフは、1990年1月から1999年12月までの10年間の日本と米国の景気後退期を時間軸上に示したものです。上が米国、下が日本の景気後退期間です。


グラフのように、この期間内に、米国は1度、日本は2度の景気後退に陥っています。

1990年代の景気後退の通算期間は、米国が、8ヶ月だったのに対して、日本は、54ヶ月と米国の7倍近く長く、日本の経済的な劣勢が明らかだった10年間と言えます。

上の二番目のグラフは、1990年から1999年までの米国の公定歩合の推移です。

上の三番目のグラフは、1990年から1999年までの日本の公定歩合の推移です。


以下に時系列で、各景気後退の内容を見ていきます。

1.(米国の景気後退)1990年8月~1991年3月


  米国では、1980年代末にインフレが亢進し、1989年には、5.1%に達しました。
  FRBは、インフレを抑制するために、金利を引き上げましたが、さらに、
  1990年に発生した湾岸戦争によって、原油価格が高騰したこともあり、景気後退に陥りました。

  景気後退の期間は、短かったのですが、その後も、高い失業率と財政赤字の拡大により、
  米国は、1995年まで低成長を余儀なくされました。

2.(日本の景気後退)1991年3月~1993年10月


  1985年のプラザ合意に端を発した、急速な円高進行、また、日米の貿易摩擦に政治的対応としての、日本政府による内需拡大政策、さらに、ブラックマンデー後の米国を支援するための日銀の積極的な金融緩和策などが複合的な要因となって、1980年代後半から1990年代の初頭にかけて、日本は空前のバブル景気に湧きました。

  しかし、地価の高騰を抑制するための、1990年の土地関連融資の総量規制と日銀による急激な金融引き締めにより、1991年3月に日本は景気後退に陥りました。バブルで膨らんだ地価や株価は急落し、金融機関は多額の不良債権を抱え込むことになりました。

3.(日本の景気後退)1997年6月~1999年1月

  バブル崩壊後の景気後退は、財政による刺激策や阪神・淡路大震災後の復興需要、携帯電話の急速な普及など通信の新規需要により、一旦、回復しました。

  しかし、1997年の消費税率の引き上げによる内需の減少や、アジア通貨危機の発生による外需の減少により、日本は景気後退に陥りました。さらに、1997年11月の山一證券の破綻に端を発して、金融危機が発生して、この景気後退は、戦後最大の不況にまで深刻化しました。

  日本政府は、巨額の景気対策と銀行への資本注入を行い、日銀もゼロ金利政策を実行して、約二年間続いた景気後退はやっと終了しました。

4.まとめ

  1990年代の日本の景気後退は以下の点で、非常に特徴的でした。

  ・米国と日本の景気の連動性が非常に小さい。
  ・中央銀行の金融政策が後手に回り、金利による適切なハンドリングが、ほぼ、効かない中で、深刻な景気後退に二度、陥っている。