日米の景気循環の比較 第5回 1970年代の景気後退

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今回は、日本と米国の景気循環を分析するシリーズの5回目として、1970年代の景気後退期を比較してみます。

上の最初のグラフは、1970年1月から1979年12月までの10年間の日本と米国の景気後退期を時間軸上に示したものです。上が米国、下が日本の景気後退期間です。


グラフのように、この期間内に、米国は、2度、日本は、3度の景気後退に陥っています。

上の二番目のグラフは、1970年から1979年までの米国の公定歩合の推移です。

上の三番目のグラフは、1970年から1979年までの日本の公定歩合の推移です。


以下に時系列で、各景気後退の内容を見ていきます。

1.(米国の景気後退)1969年12月~1970年11月

  この期間中の景気後退は比較的に穏やかなものでした。
  ベトナム戦争の支出拡大は、米国の財政赤字の拡大と完全雇用の実現をもたらした結果、物価上昇が顕著になりました。FRBはこのインフレを抑制するために、金融を引き締めた結果、景気が後退局面に入りました。

2.(日本の景気後退)1970年8月~1971年12月

  1960年代後半のベトナム戦争の拡大は、日本にも外需の拡大をもたらし、対米輸出の急増による長期の景気拡大となりました。

  いざなぎ景気以前の景気拡大では、国際収支の悪化が起こり、外貨準備の減少を防止するために金融政策の引締めによる景気抑制が必要となるという「国際収支の天井」が景気拡大の制約条件でした。

  しかし1960年代半ばになると国際収支(経常収支)は黒字基調となって、景気拡大の制約条件ではなくなってきました。

  この時期の景気後退は、景気過熱による賃金・物価の上昇加速を抑制しようとした日銀による金融引締めが主な原因と考えられます。

3.(米国の景気後退)1973年12月~1975年3月

  この時期に、西側諸国は世界的な同時不況に陥りました。
  また、それまでの景気後退とは次元の異なるスタグフレーションに陥りました。すなわち、失業率と物価が同時に上昇する深刻な事態となりました。

  米国では、1973年の石油危機とブレトンウッズ体制の終了が、景気後退の引き金になりました。
  また、日本や西ドイツなどの新興工業国の躍進で、欧米の製造業が大規模なリストラを行ったことも大きな要因でした。

4.(日本の景気後退)1973年12月~1975年3月

  上の米国の景気後退とまったく同時期に、日本も景気後退期を迎えています。

  1971年8月のニクソンショックにより、円の対ドルでの為替が大幅に切り上がった結果、輸出主導の日本経済は大打撃を受けました。
  
  その後、1973年までの2年間は再び固定相場体制が採られましたが、不安定かつ暫定的な体制であったため数次にわたる通貨危機が発生し、遂には完全に変動相場制に移行することとなりました。

  1973年の日本の景気後退入りは、戦後初めての円高不況でした。

5.(日本の景気後退)1977年2月~1977年10月

  1970年代半ばに、1ドル=300円台にまで円安になったものの、1976年から1978年にかけて再び円高へ進行、1978年には1ドル=200円を切る状態となりました。

  1977年の日本の景気後退入りは、1970年代の二度目の円高不況でした。

6.まとめ

  1970年代の最初の景気後退は、日米ともに、中央銀行が金融を引き締めたことによる、マイルドで人工的な不況でありました。

  しかし、1973年から1975年の二回目の景気後退は、戦後の西側金融体制の崩壊と再構築による構造的なものでした。

  特に、日本は、変動為替への移行による円高が大きな打撃となり、1970年代、3回目の不況に陥ることになりました。