日米の景気循環の比較 第3回 1960年代の景気後退

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今回は、日本と米国の景気循環を分析するシリーズの3回目として、1960年代の景気後退期を比較してみます。

上の最初のグラフは、1960年1月から1969年12月までの10年間の日本と米国の景気後退期を時間軸上に示したものです。上が米国、下が日本の景気後退期間です。


グラフのように、この期間内に、米国は、1度、日本は、2度の景気後退に陥っています。

上の二番目のグラフは、1958年から1969年までの米国の公定歩合の推移です。


以下に時系列で、各景気後退の内容を見ていきます。

1.(米国の景気後退)1960年5月~1961年2月

  FRBは景気の過熱を防ぐために、1958年から利上げを開始して金融を引き締め、これは、1960年まで続きました。
  1960年からの景気後退は、FRBが人工的に引き起こしたものと言えます。

2.(日本の景気後退)1962年1月~1962年10月

  岩戸景気と呼ばれる日本の好況は、米国よりも約2年長く続きました。
  岩戸景気が後退局面に入った原因は、その一つ前の景気循環神武景気と同様に、以下のようなプロセスで、国際収支の天井に入って、外貨が不足したことにありました。

  (1)当時の日本は、設備投資や消費といった国内需要の高い伸びに支えられた景気拡張であったため好景気が続くと輸入が増加し、国際収支が赤字化するという構造を持っていた。

  (2)当時の為替相場は1ドル=360円の固定相場制が採られていたが、こうした下では国際収支の赤字が続くと外貨準備が減少する。

  (3)さらに国際収支の赤字が続けば外貨準備が枯渇し、円から他通貨への交換に応じることができなくなる可能性が高まる。このように、固定相場を維持するために国際収支の赤字を放置できなくなることを「国際収支の天井」といった。

  (4)こうした理由から外貨準備の減少を阻止するために金融引締め等の景気調整策がとられ、景気後退に至った。

3.(日本の景気後退)1964年11月~1965年10月

  その後に、日本は、1964年10月の東京オリンピック開催に向けて、公共事業を中心とした建設ブームが起こり、好況となりましたが、建設が終わり、東京オリンピック開催とほぼ同時に景気後退局面に入りました。

4.まとめ

  1960年代の日米の3回の景気後退期は、それぞれ、国内要因による独立したものと考えられます。
  特に、日本の景気後退は、「国際収支の天井」と「建設投資のピークアウト」という当時独特の要因だったと言えます。

5.補足

  米国は、1968年から1969年にかけて、景気後退入りの直前まで景気が落ち込みましたが、ベトナム戦争の激化による軍需の拡大でこれを回避しています。