●引用開始(記事原文)
「私には危機が見えたのに、Fedは何をしていたのだろうか?」
しかし、これは、私の記憶とは異なる。今から遡る2005年と2006年には、私は、全力を尽くして、私の投資ファンド、サイオン・キャピタルの顧客に対して、2007年の後半に住宅ローン市場が崩壊し、経済に対して深刻な打撃を与えることを、繰り返し警告した。この予測は、住宅ローン市場と住宅ローン担保証券市場に対する私のリサーチから得られた結論だ。これらの証券に関する公開資料を精査した後、私は、貸主が、最も信用度の低い購入者対する最もリスクの高い住宅ローンを提供するタイミングを待った。私は、この事実が、住宅バブルの終わりの始まりを意味することを知っていた。すなわち、これを契機に、安易な住宅ローンの拡大によって、価格が行き着くところまで上昇するということを意味していた。
私は、既に、貸主が取扱量を伸ばすためだけに、信用基準を緩め、金利のみを返済するローンを扱い始めた、2003年において、住宅市場の先行きを懸念していた。2004年を通して、私は、これらのローンが、より多くの最も信用度の低いサブプライムの借主に提供されることを監視していた。住宅ローンの貸主は、一般的にこれらのローンを担保に証券化商品を作り、ウォール街の銀行に売却し、殆どのリスクを転嫁していた。次第に、貸主は、彼らの販売したローンの量だけに関してを持ち、質に対しては、関心を持たなくなった。
その一方で、住宅の購入者は、歴史的傾向から不動産価格がかならず上昇するという確信を持ち、大きな住宅であれば、どのような住宅ローン契約にも安易に署名していた。詐欺的行為が行われる動機は非常に大きかった。実際に、FBIの発表では、2001年から2004年にかけて、住宅ローンの詐欺は、5倍に増えていた。
私は、2005年の半ばまでに、私が評価得ることになった分析に自信を持っていた。そして、私は、不動産バブルが弾けた時に、壊滅的な打撃を受けるサブプライムローン担保証券と多くの金融機関の社債について、数十億ドル相当のクレジット・デフォルト・スワップ(一種の保険のようなもの)を購入することにした。これらの債券の価値が下がると、クレジット・デフォルト・スワップの価値は上がる。我々のスワップは、保険会社のAIGや住宅ローン会社のファニーメイ、フレディマックを含む、倒産会社あるいは倒産に近い多くの会社をカバーしていた。
私は、これらの取引に注意深く入っていった。その時が来たときに、私のウォール街の取引相手は、お金を払えなくなるかもしれないし、払う意志が無いかもしれないという事を懸念していたので、私はこれらのエクスポージャーを最小化するために、6社に取引相手を分散化した。私は、また、特に、リーマンブラザースとベアスターンズの両社が、致命的なほどの危機にさらされることを疑っていたために、これらを取引相手として使う事を避けた。
さらに、私は、もし、このポジションが成功したときに、翌日に口座に入金されるように、日次担保決済を要求した。これは、ゴールドマンサックや他のデリバティブディーラーが、トリプルA格付けのAIGに対してこのような要求をしていない事を知っていたからだ。
私は、サブプライム住宅ローン市場の崩壊が、最終的には、大きな金融機関の破綻につながると信じていた。しかし、その時点では、誰もこれらの取引が私の思惑どおりになるとは考えていなかった。
2007年を通して、私は、私の投資家から(利益確定の)圧力を受け続け、大きな利幅となった時点で、私達のスワップの大部分を現金化した。2008年の初めには、私は、政府の大規模な介入が行われる事を恐れ、残りのクレジット・デフォルト・スワップのポジションを、多くのウォール街の銀行にオークションで売却した。その時点では、破綻を防ぐために、彼らはこれらのポジションを必死に求めていた。私の投資家やウォール街のコミュニティの双方から強い圧力の中で、運用を行っていたので、これらの取引の完了を、私は、全てチェックする必要があった。多方面からの圧力の中で、私は、サイオン・キャピタルを2008年に閉鎖した。
その時から、私は、しばしば、何故、ワシントンの連中が、住宅バブルの崩壊と、その後の大手金融機関の経営破綻を、私がどのように予測したのか、まったく、関心を示さなかったのか、不思議に思っていた。ちょうど、一週間前に、私のこの予測について書かれているマイケル・ルイスの本(The Big Short)を読んだブルームバーグTVのアル・ハント氏が、グリーンスパン氏に直接、質問した答えを聞いて、分かった。前FRB議長は、私の分析は、「統計的な幻影に過ぎない。」と述べたのだ。たぶん、彼は、私が、たまたま、まぐれで賭けに勝ったと言いたかったのだろう。
グリーンスパン氏は、Fedにおいて、一流のエコノミストと数多くの会議を開いたが、そこに参加した誰一人もそのような問題について警告しなかったと述べた。グリーンスパン氏の論理によると、住宅バブルを予測できる者は、必ず象牙の塔に招かれていたはずで、そこで話を聞かなかったということは、誰も予想出来なかったということになる。
一つの国家として、我々は、グリーンスパン氏の考え方につきあっている余裕は無い。真実は、ただ、彼は、何が起こっているかを観察し、率直で政治的に中立な警告を発するべきだったということだ。彼が経済を語るときに、世界中の全ての者は、彼の一言一句まで、気にかけていたのだ。
不幸な事に、彼は良いアドバイスを示すことは無かった。2004年の2月、Fedが驚くほどの一連の金利切り下げの終了を公式表明する数ヶ月前に、グリーンスパン氏は、米国民に対して、変動金利住宅ローンのコスト削減効果の利益を享受しないのは、好機を見逃すことになるだろうと述べた。また、彼は銀行業界に対して、これまでの伝統的な固定金利の住宅ローンだけではなく、より多くの住宅ローン商品の選択肢を与えれば、米国の消費者の利益となりうることを示唆した。
それから一年も経たない間に、貸主は、サブプライムの借り手が利用可能な、当初は低く設定された金利のみ返済可能な住宅ローン(ARM)を開発した。さらに、18ヶ月以内に、貸主はサブプライムの借り手に対して、支払いオプションARMと呼ばれる、月次返済額の一部のみの返済を許し、残額を貸付残高に繰り入れるような住宅ローンを提供し始めた。(これは、住宅ローンと言うよりもクレジットカードに近いものだ。)
これらのトレンドを見届けた2005年の4月に、グリーンスパン氏は、サブプライム住宅ローン市場の拡大を鼓舞した。「かつては、多くの信用度がぎりぎりの申込者は、ただ単に、信用供与を断られるだけだったのが、今や貸主は、個々の申込者のリスクに応じて極めて有効な判断を行ない、適切にリスクの価格付けが可能になった。」と彼は発言した。
しかし、既にそのとき潮目は変っていた。2005年の12月までに、6ヶ月前に発行されたサブプライム住宅ローンは、既に異常に高い延滞率を示していた。(これらのローンは、二年間の優遇金利が与えられていたにも関わらず、借主は、既に、返済が困難な初期段階に入っていた。)
たしかに、サブプライム住宅ローンとデリバティブの市場は、グリーンスパン氏の演説から約2年後までには、投機的な崩壊は始まっていなかった。しかし、全ての兆候は、2005年時点で見られていた。それは、バブルの崩壊を、悲惨な結果を招かないように十分に抑制できるタイミングであり、政府が破綻を極小化できるタイミングであった。
それとは反対に、ワシントンの我々のリーダーは、何も気付かず、あるいは、意図的に、このバブルを助長し、支援していた。そして、2007年に、この金融危機の痛々しい全容が明らかになったときでさえも、FRB議長、財務長官、大統領、議会の有力議員たちは、この問題の深刻さを繰り返し過小評価していた。結局、彼らには、異常で不公平な政策手段である銀行救済しか政策ツールとして残されていなかった。今、我々全員が消費ブームに酔った、余分な1~2年と引き換えに、我々の子供や孫を、将来に渡って、悲惨な金融システムの結果で苦しめてしまうことになった。
このような状況になる必要は無かった。だからこそ、危機を予測した者の分析が、考えも無く却下される理由は無いのだ。グリーンスパン氏は、彼の豊富な知識と卓越した政府の知識を使って、彼と他の政府高官がどのように舵取りを誤ったのかを、確かめて十分に説明すべきだ。もし、これらの失敗が適切に明らかになれば、これらの結果が、議会による銀行規制の改善に活かされ、将来のFRB議長が同じ過ちに陥る事を防ぐのだ。(2010年4月3日 ニューヨークタイムズ電子版)
●引用終了
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