商品循環 第47回 1980年の金融政策を振り返る

前回は、1980年の商品循環のピークにおけるFF金利の推移と、CPI、PPIとの関係を調べました。
今回は、同時期のFF金利の推移と景気循環、物価の関係を調べて、当時の金融政策の動向を振り返ってみます。

1.景気循環

1980年前後の景気循環のピークとボトム、および、その時点でのCPI前年同月比は、以下のとおりです。
区分→年月→CPI前年同月比
▼    1975年3月 10.25%
△    1980年1月 13.91%
▼    1980年7月 13.13%
△    1981年7月 10.76%
▼    1982年11月 4.59%

ここで、△が景気のピーク、▼が景気のボトムを表します。

注目されるのは、1975年3月と1980年7月は、景気の底にも関わらず、10%を超えるCPIの激しいインフレだったことです。
1982年11月の景気の底で、やっと、CPIのインフレ率が5%を下回って、インフレが沈静化していることが分かります。

2.FF金利

この時期のFF金利のピークとボトム、および、その時点でのFF金利とCPI前年同月比は、以下のとおりです。
区分→年月→FF金利→CPI前年同月比
△    1974年7月 12.92% 11.51%
▼    1977年4月  4.73% 6.95%
△    1980年4月 17.61% 14.73%
▼    1980年7月  9.03% 13.13%
△    1981年6月 19.10%  9.55%
▼    1983年2月  8.51%  3.49%

ここで、△がFF金利のピーク、▼がFF金利のボトムを表します。

注目されるのは、1974年7月と1980年4月は、10%を超えるCPIの激しいインフレだったにも、関わらず、その後、利下げに転じている点です。
景気に配慮しての利下げだと思いますが、結果的に、その後のインフレを抑える事に失敗しています。
最終的には、1981年6月にFF金利を19.1%まで引き上げことによって、CPIを10%未満とし、その後のインフレの沈静化につながっています。

3.金融政策の動向

CPIと景気循環ならびに、FF金利の動向から、この時期の金融政策は、以下のようなものだったと考えられます。

1974年7月・・・CPIの前年同月比が10%を超えていたが、当時は、景気後退局面だったため、インフレよりも景気に配慮して、利下げを決定。(FRB議長は、アーサー・F・バーンズ)
この結果、1975年3月を底に、景気が拡大局面に転換した。

1977年4月・・・景気加熱を抑制するために、利上げを決定。当時のインフレ率は、約7%と高い。(FRB議長は、アーサー・F・バーンズで変らず。)

1978年~1979年・・・10%台への利上げにも関わらず、インフレ率は、10%に達する。インフレ抑制に失敗した。(FRB議長は、G・ウィリアム・ミラー

1979年8月・・・ポールボルカーFRB議長に就任。インフレ抑制の為に、金融引締めを加速。

1980年4月・・・FF金利を17%台へ利上げ。CPIのインフレ率は、14%台だったが、1980年1月をピークに景気が後退局面に入った為、一旦、利下げに転じる。その結果、1980年7月を底に、景気は拡大局面に入る。

1980年7月・・・PPIのインフレ率は、ピークアウトしたが、CPIのインフレが抑制される兆候が見えない為に、FRBは再利上げに転じる。

1981年6月・・・FF金利を19%台まで引き上げた結果、CPIが10%を割り込み、インフレ抑制の兆しが見えたが、景気も1981年7月をピークに再び、後退局面に入り、深刻な不況に突入する。当時の米国の失業率は、11%台だった。

1982年後半に、FRBは金融引締め政策を断念して、緩和を実施した結果、景気後退局面は、1983年2月に終了した。当時のCPIインフレ率は3%台となり、インフレは完全に抑制されていたが、結局、景気後退局面は、1年8ヶ月も継続した。

4.まとめ

1980年は、CPIのインフレが極端に高進したため、金融政策は、景気を犠牲にした、極端な引き締め政策を、3年間も継続せざるを得ませんでした。

今後も、商品循環のピークと、債券循環のボトム(長期金利のピーク)が重なったときは、1980年と同じような金融政策が行われると、考えられます。

従って、1980年当時のデータは、今後のインフレ時の株価、商品価格等を予測する上での、貴重な研究材料になると思います。

次回は、FF金利以外の要素として、要望のあった通貨供給量とCPI,PPIの関係を調べてみたいと思っています。