商品循環 第44回 短期金利の循環構造を調べる

前回は、米国の代表的な短期金利政策金利)であるディスカウントレート(公定歩合)と、商品循環の対比データを作成し、分析しました。
対比データ(Excelファイル)は、SkyDriveの以下の位置にアップロードしてあります。
今回は、さらに、色々な角度から分析を深めようと思います。

1.商品循環のピークにおけるディスカウントレート

過去の商品循環のピークにおけるディスカウントレートは以下のとおりでした。

1920年のピーク・・・6.0%
1947年のピーク・・・1.0%
1980年のピーク・・・13.0%(※1)

※1・・・この時期の、ディスカウントレートのピークは、約一年後(1981年5月~10月)の14%でした。

1920年と1980年は、商品価格の高騰と並行して、インフレが高進した為、当局が政策金利を引き上げたと考えられます。

一方、1947年は、商品価格の高騰は見られたものの、インフレはさほど高進しなかった為に、当局が政策金利の引き上げに動かなかったと考えられます。

また、1920年と1980年は、60年周期の長期金利のピークにあたり、長期金利の上昇が、短期金利政策金利)の上昇につながった側面もあると考えられます。

2.政策金利の引き上げ幅

次に、それぞれの商品循環で政策当局が、どの程度の金利引上げを行ったかを調べてみます。

まず、各循環のボトムでのディスカウントレートを調べてみます。

1946年6月のボトム・・・1.0%
1973年4月のボトム・・・5.75%

金利差を求めると以下のようになります。

1947年の金利差・・・0.0%(=1.0%-1.0%)
1980年の金利差・・・7.25%(=13.0%-5.75%)

このように、1947年の商品価格の高騰時は、政策金利の引き上げが、まったく、行われませんでした。

一方で、1980年の商品価格の高騰時は、約7年間で7%以上の政策金利の引き上げが、行われました。

3.1947年に利上げが行われなかった理由

1.で述べたように、インフレが高進しなかったことや、長期金利が循環的に低い位置にあった点以外に、1947年当時に政策金利の引き上げ行われなかった理由として、次の点も考えられます。

すなわち、当時は、第二次世界大戦の戦費調達のために、FRB米国債の引き受けを行い、長期金利をほぼ2.5%に固定していたため、短期金利も、固定化する必要があったと思われる点です。

このFRBによる米国債の引き受けは、FRBと米財務省との間で、アコードが結ばれる1951年まで行われました。

1951年2月にこの時期の商品循環の二回目のピークが観測されていますが、これは、1951年3月のアコード(合意)締結により、FRBによる米国債の無制限買い入れが中止されたことで、債券から商品への資金シフトが起こったと考えられます。

4.ディスカウントレートの循環

続いて、ディスカウントレートの循環を調べてみます。

▲1920年1月~1921年10月・・・6%
▼1942年3月~1947年12月・・・1%
▲1981年5月~1981年11月・・・14%
▼2002年11月~2003年8月・・・0.75%

ボトムのFROM年月の間隔は、以下のとおりです。
1942年3月~2002年11月・・・60年9ヶ月

ピークのFROM年月の間隔は、以下のとおりです。
1920年1月~1981年5月・・・61年5ヶ月

上のように、短期金利も、60年周期の長期金利の循環(コンドラチェフ循環)とほぼ、同期した動きを見せています。

また、ピークとボトムのFROM年月の間隔は、以下のとおりです。
1920年1月~1942年3月・・・18年3ヶ月
1942年3月~1981年5月・・・39年3ヶ月
1981年5月~2002年11月・・・21年7ヶ月

これを見ると、ピークからボトムまでが約20年、ボトムからピークへは、約40年で、合わせて60年という周期になっているようです。
 
5.まとめ

以上の分析をまとめると以下のようになります。

(1)短期金利(政策金利)は、長期金利と同様の60年周期の循環構造を持つ。
(2)短期金利の長期循環のピークは、商品循環のピークとほぼ一致する。
(3)ただし、商品循環は、長期金利の半分の30年周期であるため、短期金利のボトムにおいても、商品循環のピークを迎える場合がある。
(4)その場合は、長短金利が全般的に低く、広範なインフレが見られない中で、商品価格だけが高騰するような状況が出現する。

現在の商品価格の高騰は、低金利で商品循環のピークを迎えた1947年型と言えるかもしれません。

次回は、1980年のインフレとFF金利の動きをミクロ的に追ってみようと思います。